ドヤコンガ 声優オタクについてのくだらない考察

声優が好きな人が理解できない。

声優は画竜点睛の目であって、竜の絵が好きな人はいても竜の目が好きな人はいない。

必要不可欠な存在であったとしても、原作者やアニメーターや脚本家の制作物であるキャラクターをオナペットにしているだけで、声優が好きなわけでは無いのでは?

声優の演じたキャラクターが好きであっても、声優が好きになるなんて有り得ない。

ドヤコンガ事件のように、ipアドレスも自宅の住所も知らない人間を好きになれるわけがない。

オナペットにする事=好き、という思考が理解できない。

キャラクターが好きでも、結局アニメが終わればそれ以上の供給は止まる。

〇〇ロスというやつだ。

だから異なる作品にもそのキャラを求めた結果、声優オタクになる?

つまり、24時間365日コンテンツを用意できないアニメ側に問題がある。

そしてvtuberなら、それが出来る。

アニメーターも脚本家も必要無く、声優自体がコンテンツをほぼ無限に作成できるわけだ。

vtuberとは、フェイスリグを利用して、声優がリアルタイムにアニメを作れるシステムだと言える。

勿論旧来のアニメのような、物語性やアクションシーンを作ることは出来ないが、圧倒的なコンテンツ量を産み出すことができる。

結論として、声優オタクは、オナペットにしているキャラクターの供給がアニメの終了によって停止した結果、別のアニメの、同じ声優のキャラでシコるために産まれる?

作品にとって、声優の情報なんかノイズでしかないのでは?